栃尾入門ガイド 栃尾という町

旧栃尾市(とちおし)は、新潟県のほぼ中央に位置し、かつては繊維産業で大いに栄えた町です。
2006年1月1日長岡市に編入され、昭和29年より続く、市としての歴史を終えました。
この地は、上杉謙信が青年期を過ごし旗揚げをした地であり、全国の秋葉信仰の発祥の地でもあります。
街並みの雁木は古き良き昭和の匂いを残し、山々の棚田は美しい里山の景色を作り上げています。
そして、この美しい山間の町で、人々は今も栃尾人としての誇りを持って暮らしています。

面 積 204.92km² (東京23区の1/3程の広さ)
総人口 7,240世帯 19,122人 男性9,745人/女性9,377人
(平成28年6月1日現在)

雪と雁木通り

雁木(がんぎ)は、新潟県で特に雪深い地域の商店街などで見られる雪よけの屋根のこと。秋田県や青森県津軽地方では同様のものが小見世(こみせ)と呼ばれています。
雪深い新潟県の町では、積雪期でも通りを往来できるようにこのような雁木造りの軒並みがよく見られます。古くからの豪雪地帯である栃尾の商店街でも雁木通りがいくつかあります。重機による除雪が普及し、各通りに流雪溝が整備されるまでは、家々の屋根の雪は道路に投げ下ろすしかありませんでした。そのため、降り積もる雪と屋根から降ろされた雪で、町場の通りは瞬く間に埋め尽くされていました。冬場に少ない天気の良い日には、通りを埋め尽くした雪山の上を人々が行き交いましたが、多くは雁木の下を往来したのです。そして、ところどころに作られた雪のトンネルをくぐり抜け、通りの反対側の雁木へ往来していたのです。
雁木は公共事業ではありません。それぞれの家や店舗が、建物を建てる際に自費で家屋と共に設置するものなので、その高さや構造がまちまちです。それらの姿が、雁(ガン)が群れをなして空を飛んでいる様子に似ていることから雁木と名づけられたと言われています。一昔前までは、雁木の名の通り、ほとんどが木造のものでした。近年は建築方式の変遷により、鉄骨の雁木も増えていますが、城下町である栃尾の雁木は、その歴史も古く、昔ながらの建築技法で建てられた雁木を今でもいくつか目にすることができます。
採光性の低さを解決するため、上部が欄間になっているなど、古い雁木には各家庭による工夫などが見られ、散策する人の興味を引きつける魅力があります。雁木のおかげで、厚い積雪の中でも生活道を確保できると同時に、冬以外の季節でも、雨の日にちょっとした用事で出かける時も傘いらずで、町場に住む人に重宝されています。
また、前述の通り、雁木の下は公道ではありません。各家屋の前の雁木通りは私有地ですが、その地権者は、雁木通りは地域の共有財産だという観点から、道ゆく人たちの利便のために、無償で敷地を提供して、交通利用させています。このような助け合いの精神も、厳しい豪雪にさらされる雪国の人々が培った義の心なのかもしれません。
近年は、過疎化に伴う商店街の衰退も相まって、雁木の維持や保存が難しくなってきている地域が増えています。栃尾では、まちづくりの一環として、雁木が醸し出す懐かしい景観を守るため、平成9年度から県内の学生と協力し、雁木の新設や保護に努めています。
栃尾に残る雁木の街並みはいまだ数多く、その総延長はおよそ4.3kmです。これは、日本で3番目に長く(新潟県上越市で約18km、新潟県旧長岡市で約10km)、豪雪地である栃尾の名物ともなっています。
栃尾の雁木通りについては、栃尾観光協会のホームページでも詳しい情報を見ることができます。散策のお供になる「とちお町めぐりまっぷ」もダウンロードできますので、ぜひ一度ご覧になって、昔懐かしい雁木通りの散策にお越しください。

栃尾観光協会ホームページ
雁木と栃尾の街並み http://tochiokankou.jp

比較的新しい構造の雁木造りが並ぶ谷地通り商店街。雁木の上にも住居スペースがあることから、雁木通りが私有地であることがわかります。右の写真は、昭和30年代に送られた年賀状です。トンネルの向こう側で挨拶を交わすご婦人たちがいるのが、通りの反対側の雁木通りです。除雪のための重機やインフラがまだない時代、積雪のために埋まった通りの下にトンネルを掘って、通りの反対側と往来をしていました。豪雪地帯らしい一枚です。
自治体では、県内の学生と連携して、雁木の新設と保全にも努めています。若者がデザインした美しく個性的なデザインの新世代の雁木も、古くからの雁木と共に懐かしい景観に溶け合っています。通りの向こうまで続く雁木の軒下は、回廊のような雰囲気を醸し出ています。